日記・コラム・つぶやき

2017年5月20日 (土)

令状なしのGPS捜査は違法(最高裁大法廷判決)

今年3月15日に最高裁は大法廷判決で、「警察が行っている令状なしのGPS捜査は違法である」という判断を示しました。最高裁が司法の役割を果たしたと思われた方は多かったと思います。

GPS捜査というのは、警察が市民の自動車に無断でGPS(人工衛星を利用して位置がわかる装置)の発信器を取り付けて居場所を捜査するもので、警察は2006年にやり方を決めて行ってきたと言います。知らないうちに車に装置が付けられて、どこに行ったか、どこにいるか等が何ヶ月も警察に知られていたのです。

日弁連は、裁判所の令状なしに行うのは違法であるという意見を表明してきましたが、裁判所の判断は違法と適法に分かれていました。ある窃盗事件の弁護人となった大阪の若手弁護士らが、それまで実態がよくわからなかったGPS捜査の問題を真正面から取り上げました。大阪地裁は違法だという判決を出しましたが、大阪高裁は重大な違法があるとはいえないという判決を出しましたので、最高裁に上告していました。

最高裁は、15人の裁判官全員一致で、「裁判所の令状なしに無断でGPSを取り付けて人の所在を調べるのは違法である」という判断を示しました。警察は、この判決のあと全国で行っていたGPS捜査をやめたようです。今後は、GPS捜査をどのような場合に裁判所の令状でもって認めるかという立法の議論になっていくと思われます。

最高裁が、このような明解な判断をしたのは、国民の基本的人権を認めた憲法があるからです。憲法35条は、人々には住居や書類や所持品を勝手に捜査されることは無い権利があると定めています。そして、最高裁は、人がどこにいるかということも、これらに準ずる「私的領域」であり、国民には私的領域に勝手に侵入されることがない権利があると判断しました。弁護団によりますと、アメリカでも違憲であるという判決が出ているようです。

大阪の捜査では、被疑者だけでなく、交際相手の車にも無断で発信器が取り付けられたと言います。それが7か月も続けられたようです。このような捜査を警察がしていることを多くの国民は知らなかったと思いますが、この度、最高裁が裁判官全員一致の意見で、令状もなしにこのようなことは許されないとしたのは、司法の面目躍如たるものがあります。

弁護団の中心になった亀石弁護士は、この事件を頼まれたとき、弁護士になってまだ4年目だったそうです。同期の弁護士らに声をかけて6人の弁護団を結成し、最高裁には「子孫が後に振り返ったときに感謝してくれる判決を」と訴えたようです。最高裁判事には検察官出身者や行政出身者もいますが、ことの重大性と司法の取るべき態度という点で一致したのだと思います。

亀石弁護士は、今、国会で議論されている共謀罪法案について、警察は恣意的に捜査することが日常茶飯事であり、法案は問題があると指摘しています。捜査の必要で人権が侵害されることがないように、慎重な議論を求めたいと思います。(弁護士 松森 彬)

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2017年5月 1日 (月)

壬生狂言を見てきました(余談)

週末に京都の壬生寺に行き、「壬生狂言」の春の公演を見てきました。法律の話題ではありませんが、ご容赦ください。

壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺の僧侶が仏教をわかりやすく伝えようとして始めたものだそうです。今の舞台は江戸時代に建った建物であり、演者が付ける面は約190もあり、その中には室町時代に作られたものも残っているといいますので、年季が入っています。面を付けて身振りや手ぶりだけで演じます。私は大学時代、能のクラブに入っていましたので狂言はたくさん見ましたが、セリフがある狂言と異なり、壬生狂言は面を付けて演じる無言劇です。ただ、笛と太鼓、鐘がありますので、音楽性は十分です。

公演は1週間あり、毎日5つの演目が演じられます。毎日最初に演じられるのが、ほうらく売りというお話です。これは、ほうらくという素焼きの皿を売る商人が、太鼓を売る商人を騙し、怒った太鼓売りの商人に売りものの皿をすべて割られてしまうという話しです。ほうらくは、2月の節分に参詣した人が奉納したものだそうですが、これを約1000枚も高い舞台から落として割りますので、迫力があり、約400人の観客から大きな拍手が起こっていました。また、今日の2番目の演目は「蟹どん」という猿蟹合戦と桃太郎を合わせたような話しでした。天井につるした綱を渡ったり、面を付けたまま舞台から飛び降りたり、観客を驚かせる場面も随所にありました。

西暦1300年ころに始まり、約700年も連綿と続けてきたといいます。戦争中も1日だけになっても続けられたそうです。それは、この狂言が壬生寺の本尊に奉納するためのものであったからだと思います。狂言の解説書が200円で売っていたので、買いました。それを読みますと、この狂言を演じている人は、地元の会社員や商店主や子どもなどで、約40人ほどが講を作って続けているそうです。名前も出ませんし、面を付けていますから誰かさえ分かりませんが、そんなことは無頓着に、口伝で芸を伝え、磨き、続けておられます。

京都の祇園祭りも、大文字の送り火も、地元の人が世話をして行われています。人々の地域に対する思いや心意気なのでしょうね。心強いものを感じます(弁護士 松森 彬)

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2017年4月29日 (土)

「進行協議期日」による事実上の検証

今週は、裁判官と双方当事者が裁判対象の機械が置いてある倉庫に行き、そこで機械を検分する手続きをしました。

民事訴訟法は、裁判官が事故の現場や事件に関する物を見る手続きとして「検証」という手続きを定めています。私も、これまでに交通事故の裁判や、境界確定の裁判、騒音公害の裁判などで検証を申請し、実施されたことがあります。ただ、最近は検証が激減しています。一番の理由は、裁判官が見聞きしたことや対象の物の状態などを書いた検証調書を作るのが手間であるとして、裁判所が嫌がることです。二つは、「進行協議期日」という手続きを利用して調書を作らずに事実上見に行くことが行われているからです。三つは、筆界特定制度という法務局の調査制度ができて、この制度で境界問題が解決する例が増えたことです。四つは、写真やビデオでもある程度はわかることがあると思います。ただ、写真やビデオは写っていることしか分からず、距離感、立体感などが無いので、現地や現物を見るのとは全く異なります。弁護士は現地や現物を見ますので、直接見ることの重要性を実感していますが、裁判官はその違いや実際に見る重要性が分かっていない可能性があります。弁護士が検証の申請をしましても、必要性を認めないといって検証をしない裁判官が多くなっています。私が座長になりまして数年前に大阪弁護士会で民事裁判について弁護士に意見を聞くアンケート調査をしましたが、裁判所はもっと検証を採用するべきだとの声が多数ありました。

今回、行われたのは「進行協議期日」の手続きを利用しての機械の検分でした。進行協議期日は、民事訴訟規則に規定があり、「審理を充実させることを目的として」、「証拠調べ争点との関係の確認その他訴訟の進行に関し必要な事についての協議を行うもの」です。名前のとおり裁判の進め方等について協議をする手続きなのです。進行協議期日は、民事訴訟法に定めがある制度ではなく、最高裁が平成8年に最高裁規則で新設した手続です。

ところが、本来の協議の目的でなく、検証の代わりとして使われることが増えています。裁判所としては、実際に現場や物を見ることができるうえに、検証調書を作らなくて済むというメリットがあります。また、裁判手続きは原則として裁判所で行われますが、この進行協議期日は裁判所でないところで開くこともできると定められていますので、そのこともこの手続きが検証の代わりに使われている理由です。進行協議期日で検分したことは当事者側が写真に撮って説明書を付けて証拠として出すというのが実務になっています。
当事者は、多くの場合は検証手続きで実施をしてほしいのです。その方が記録に残り、裁判官が交代したり、控訴審に行ったりしても、それを見てもらうことができるからです。しかし、検証の申請をしても裁判所が採用しないことが増えているなかで、たとえ進行協議期日であっても、裁判官に現場に行ったり、物を見てもらえるのは、裁判官によく分かってもらうという点では大いに意義がありますので、「検証はしませんが、進行協議期日で見に行きます」と裁判官が言えば、当事者はそれで甘んじているというのが実際です。

もう一つ、この進行協議期日は、高裁の控訴審で行われることが増えています。こちらは検証の代役として利用される場合に比べれば、まだ本来の目的に近いといえますが、弁論期日という正式の期日で行われてもよいのに、進行協議期日として指定されることがあります。
その理由を元高裁裁判長に聞きますと、それは裁判迅速化法ができていて、期日の回数などの統計が取られており、裁判官は裁判の期間や期日の回数に敏感になっているのですが、進行協議期日は正式の期日としてカウントされないために、一部の高裁裁判官が進行協議期日として開いているようです。しかし、裁判の正式の期日は公開ですが、進行協議期日は非公開です。また、進行協議期日は高裁の担当裁判官(3人)が全員出席せず、陪席判事が一人だけで進めますので、議論も十分にできないこともあります。そこで、当事者側からしますと、正式の期日で裁判長も入って十分な議論をしてほしいのですが、これも、検証の代役としての進行協議期日の場合と同じで、形式としては不十分でも、審理の機会が増えるのであればプラスの方が多いので、当事者側はそれに甘んじているといえます。

本来の手続きが実施されず、裁判所側の都合で、本来の目的と違う手続が便法で利用されています。乱用だという声が大きくならないのは、検分が全く実施されないよりはましだという当事者と代理人弁護士の切羽つまった気持ちがあるからです。進行協議期日は最高裁の規則で設けられたもので、国会での議論を経ていません。この手続が本来の目的を逸脱して、ルーズな裁判にしていないか、弁護士会と学者がきちんと意見をあげるべきであると思います。

今週の進行協議期日ですが、やはり物を裁判官に見てもらうことによって審理の充実に大きく寄与したと思っています。まさに「論より証拠」であり、「百聞は一見に如かず」です。相手方は、これまで具体的な事実関係の論争を避けてきましたが、現物を前にして、さすがに説明をしないわけにいかず、具体的な説明をしました。証人調べも、事実解明の審理方法として必須といえるほどに重要ですが、現地・現物を見ることも、やはり事実を裁判官が知るために、そして双方が十分な事実関係の主張をするために大変重要な意義を持っているといえます。

なお、正式の記録が作られない点について、今回の裁判では、裁判長の提案で、当事者でビデオ撮影をしてそれを証拠として提出することになりました。当事者側の現場での説明もビデオの記録に残りますので、欠点はかなり補われると思います。

裁判官と書記官の人数を増やして正式の検証をもっと増やしてもらいたいと思います。また、並行して、裁判関係者の努力・工夫で行うべきことも多いと思いました。(弁護士 松森 彬)

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2017年3月 8日 (水)

150年前の或る国の大統領(リンカーン)の考え

リンカーンの映画を見まして関心が沸き、文庫本の「リンカーン演説集」(岩波文庫)を読みました。リンカーンがアメリカの大統領であったのは1860年から1865年で、日本では明治になる直前の幕末の時代です。

私がリンカーンについて知っていたことは、奴隷制度を廃止したことと、「人民の人民による人民のための政治」という言葉を使ったことくらいでした。演説集を読んで、かなり昔であるのに国の首長がこんな言葉を使って、こういう話しをしていたのかと感心しました。当時のアメリカは、奴隷制をめぐって南部と北部で内戦をしていて連邦が分裂していました。国のトップの責任は重く、国内の議論は激しく、そのなかで思索は深まったと思われます。今の時代の首相や大統領と比較するのは適当でないと思いますが、国の首長のあり方の一つを提示していると思います。

アメリカは国が独立したときから奴隷制はあり、難問でしたが、リンカーンは奴隷制は廃止しなければならないという信念を貫きます。それとともに、国も制度も人民(ピープル)のものであると明言し、首長は人民から委託されて長を務めている公僕だと言っており、この国の民主制の古さを感じます。

約150年前の或る国の行政の首長が、どんな言葉を使って、どんな話しをしていたか、その一端をご紹介します。

(黒人の権利と奴隷制について)  「黒人は、生活、自由及び幸福の追求に対する権利において平等であります。黒人が己れの手で獲たパンを口にする権利においては、白人黒人を問わず、他のすべての者と平等であります。」(文庫本70頁)

(国や制度は人民のもの)  「この国も、その制度も、この国に居住する人民のものであります。国民が現在の政府に飽きてきた場合には、いつでも憲法上の権利を行使して、政府を改めることもできますし、あるいは革命権を行使して政府を解体し打倒することができるわけであります」(125頁)。「私の望むところは、すべての人々のために政治を司ること(人民のための政治)である」(155頁)。「(われわれが身を捧げるべきは)人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります」(179頁)

(公僕である)  「行政長官である大統領の持つ権能はすべて国民に由来するものであります」(127頁)。私は、アメリカ国民の公僕である(118頁)、私の権限は委託されたものである(趣旨)(118頁)

(行政の首長として何をするか)  「できる限りのことをして、各地の人民が完全に安全の保障を与えられるようにし、静かな思索と反省ができるようにしましょう。」「国家の難問を平和裡に解決し、同胞間の共感と愛情を取り戻すという方針と希望とを持って努めたいと思います。」(119頁)

(独裁制への警戒)  多数の意見が尊重されるべきで、少数派の支配は容認できない。無政府や独裁制になることは避けなければならない(趣旨)(122頁)

(アメリカという国について)  「87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、すべての人は平等に作られているという信条に掲げられた、新しい国家をこの大陸に打ち立てました。」(178頁)

(最高裁について)  最高裁の判決は行政において非常な敬意と尊重が払われるべきである。国民も、その限度において国民の政治を事実上最高裁の手に委ねたことを認めなければならない(123頁)。

上記は私が通勤途中に読んで共感を覚えた個所です。国の首長のあり方や政治のあり方を考えることができる本であると思います。(弁護士 松森 彬)

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2017年3月 4日 (土)

検察の勾留請求が却下されました

先月になりますが、逮捕された人から弁護人を頼まれた事件で、2日間の逮捕のあと検察官は10日間の勾留を請求しましたが、裁判官は勾留を認めませんでした。被疑者は罪となる事実を認めており、証拠もあり、逃亡のおそれも全く無い人です。その日のうちに釈放され、その後は自宅から警察での取り調べに通っています。証拠を隠すおそれがあるとか逃亡のおそれがあるという場合は別ですが、そうでない限り、「在宅捜査」が原則であってよいと改めて思います。本人と家族の心身の負担が全然違います。

一般に、逮捕された被疑者は48時間(2日間)以内に検察官に送致されます。捜査機関が拘束を続けたいときは、検察官は送致を受けてから24時間以内に、かつ、逮捕から72時間(3日間)以内に裁判所に勾留請求をしなければなりません。

これまでは、逮捕の後、ほとんど(9割以上)が10日間の勾留を請求され、裁判所はほぼすべて勾留を認めていました。約10年前(平成16年)に裁判官が勾留を却下したのは、1%よりさらに少ない0.3%でした。

10年程前から、少しずつですが裁判所が勾留を認めない例が増えてきました。平成26年の却下率は2.2%で、まだまだ少ないのですが、それでも10年前の7倍になっています。また、起訴されたあと判決より前に釈放する「保釈」も認められる率が増えています。平成26年は勾留された被告人のうち4分の1の保釈が認められました。

しかも、かつては地裁や簡裁で勾留請求が却下されると、検察官は準抗告(不服申立)を行い、上の裁判所が逆転の判断をして勾留が認められることもよくありましたが、今回、検察官は準抗告をしませんでした。最高裁判所が平成26年、27年に立て続けに身体拘束を安易に認めない決定を出しており、最高裁が考え方を明確に示してきていることも影響しているように思います。

日本の警察の取調べは身体を拘束して行うのが普通とされ、裁判所もそれを追認してきました。そこで、「人質司法」だと言われてきました。私が前にこのブログにも書いた志布志事件では、その後無罪判決が出た県議会議員は395日拘束され、その奥さんは273日拘束されました。否認すると保釈が認められず、うそでも自白をすると、また保釈が認められないという、まさに「人質司法」が行われました。

司法改革で、「裁判員裁判」が導入され、刑事裁判に市民が参加して、裁判や捜査の実情が人々の目の前にさらされることになりました。また、「被疑者弁護」の制度が導入され、逮捕段階から弁護士が付くようになりました。このような動きが影響しているのだと思いますが、裁判官は本当に勾留が必要かを慎重に検討するようになってきたのかもしれません。明るい兆しだと思います。弁護士と弁護士会も、弁護人活動の充実に努める必要があると思います。(弁護士 松森 彬)

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2017年2月15日 (水)

弁護士の預かり金とフランスの「カルパ制度」

昨日、大阪弁護士会館で、フランスの弁護士会が行っている「カルパ制度」(弁護士会の決済金庫)を検討するシンポジウム(春秋会主催)があり、参加しました。

カルパというのは、フランスの制度で、弁護士がお金を預かる口座を弁護士会に設置し、弁護士がお金を預かる場合はその口座を経由させる制度です。フランスでは、1957年に任意の制度として始まり、1986年に法律により義務化されたそうです。制度を設けた目的は、弁護士のお金による不祥事を防止することと、口座の運用益を弁護士会の活動資金にすることと言われています(椛嶋裕之・谷眞人「カルパ制度とわが国への導入可能性(上・下)」自由と正義1998年11月号、12月号)。

日本でも、実際にはごく一部の弁護士なのですが、依頼者のお金を横領した事件がときどき新聞に出たりします。日弁連は、今、そのような被害者に見舞金を支払う制度を検討しています。しかし、それは不祥事が起こったあとの救済であり、見舞金ですから限度もあります。防止に役立つ制度があればということで、大阪、福岡、日弁連などで日本版カルパ制度の導入を検討しようという動きが出てきました。

弁護士は国民の権利を守るという仕事の性格から業務の独立と守秘義務があり、弁護士会は個々の弁護士の業務を監督することはできません。このような弁護士の業務の独立性を維持しつつ、不祥事を防止する手段として、カルパは一つの有効な制度ではないかと思いました。コストと手間などの問題がありますが、検討が望まれると思いました。(弁護士 松森 彬)

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2017年1月29日 (日)

どんな記事をよく読んでいただいているか(私のブログ)

私は8年前から月に1回位のペースで司法や裁判についての記事を書いています。これまでの109件の記事のなかで、昨年(2016年)の1年間に多くの人に読んでいただいた11件は、次のとおりです。

①「どんな裁判官の評価が高いか、また低いか」(2016年8月)3922件、②「最近の裁判官は人証調べを嫌がるが問題だ」(2016年4月)2116件、③「弁護士の書面の行き過ぎ」(2014年3月)1249件、④「隠し録音、無断録音の問題」(2016年2月)1142件、⑤「性急な裁判官にどう対応するか」(2016年1月)912件、⑥「弁護士費用は相手に請求できるか」(2014年10月)474件、⑦「してはならない質問(証人調べ)」(2013年7月)424件、⑧「裁判員裁判の現状と課題についてシンポジウム」(2015年5月)380件、⑨「裁判官は真相究明の努力を怠っていないか」(2014年9月)334件、⑩「『法服の王国』を読みました」(2014年1月)283件、⑪「民事裁判の課題と政策ー民事裁判の危機」(2015年2月)246件です。

記事はほとんどが司法や裁判に関するもので、地味な話題だと思いますが、それでも、上記のテーマは、調べようとされた方がそれだけおられるわけで、関心が高いテーマだと思います。なお、①と②の裁判官に関する記事を読んだ人が多いのは、或る裁判官がご自身のブログとツイッターに私の記事を引用されたためだと思われます。

最近はまずパソコンやスマホで情報を取る人が多いと思いますが、私のブログのテーマは、他にあまり記事が無いようで、検索をしますと一番に出てきたりします。たとえば、「民事裁判、課題(あるいは問題)」の言葉で検索しますと、私が民事裁判の課題について書いた記事が最初に出てきます。「弁護士、書面」や、「証人調べ」なども、最初に私のブログの記事が出てきます。「裁判官、評価」や、「隠し録音・無断録音」なども上位で掲載されています。

司法制度や裁判手続きについての記事がもっとあってもよいと思いますが、記事や情報が少ないようです。司法や裁判がまだまだ国民のものになっていないのではないでしょうか。私の記事も何かのお役に立っているようですので、これからも折りを見て書いていくようにしたいと思っています。(弁護士 松森 彬)

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2017年1月 3日 (火)

ポピュリズムと排外主義の台頭(お正月の新聞から)

新年明けましておめでとうございます。

元旦の3つの新聞の社説を読んでみました。新聞社の論説委員は、世界のこと日本のことで一番気になることをどう書いておられるかと思ったからです。

提言の内容は異なりますが、問題の認識に共通する部分がありました。それは、世界各国で大衆を扇動する「ポピュリズム」が拡がっていて、社会に分裂や亀裂をもたらしているという指摘です。

ポピュリズムという言葉は、ふだんあまり使われない言葉ですが、学者によると、理性的に判断する市民よりも、情緒や感情によって態度を決める大衆を重視し、その支持を求める政治姿勢を言うとしています。エリートが腐敗したり、特権を是正しようとしたりするときに改革のエネルギーになることもありますが、大衆の欲求不満や不安をあおって政治家が支持を集めようとしますと、民主政治が危険な方向に向かうことがあります(知恵蔵2015の山口二郎北大教授の指摘です)。日本では大衆迎合主義と訳されることが多いようです。ヒットラーのナチズム、イタリアのファシズムなどもポピュリズムであったと言われています。

いずれの社説も、昨年は世界各国でポピュリズムの政治家が台頭し、勢力が拡大していると指摘しました。第1は、1月にアメリカの大統領に就任するトランプ氏が理念よりも損得を言い、排外主義と国家の偉大な復権をあおっていることです。第2に、イギリスが欧州連合(EU)からの離脱を決めたことです。第3に、フランスやドイツでも移民の拒否や反欧州連合を言う政治勢力が支持を増やしていることです。

この問題に対して、どう対応するかですが、朝日新聞は、ポピュリズムが権力の暴走や独裁的政治にならないようにするためには、憲法が定めている個人の尊重や基本的人権を守る考え方である「立憲主義」を遵守することが重要であることを指摘しています。朝日新聞の社説の見出しは「憲法70年の夜明けにー『立憲』の理念をより深く」でした。

毎日新聞の社説は、「私たちは歴史の曲がり角に立っている」と書き、今のポピュリズムが排他的で、国際協調の放棄や排外的ナショナリズムであることに強い危機意識を表明しています。方向としては、持続可能なシステムの再構築に努めることと、「日本は他国との平和的な結びつきこそが生命線である」と言い、この大原則を再認識することが肝要だと書いています。見出しは「歴史の転機ー日本の針路は世界とつながってこそ」でした。

読売新聞の社説も、排他的な主張をすることで大衆を扇動するポピュリズムが広がっていることは大きな問題だとしています。そして、世界における人や物の自由な移動は保障されるべきで、自由貿易によって新興国の活力や技術革新の成果を世界に広げることが必要だと書いています。見出しは「反グローバリズムの拡大防げ」でした。

各新聞の社説は、ポピュリズムが持つ危険な面を指摘している点では共通です。その政治手法として持つ危険な点については立憲主義で制約することが必要です。また、内容の持つ排他的な側面についてはそれが真に内外の人々のためになるのかという検討が必要です。

ポピュリズムは、問題を単純化し、短いことばで大衆をあおり、思考や議論を回避する傾向があると言います。それでなくても日本では政治について批判したり、議論したりしないという外国人の感想を聞きます。国会、社会、学界はもちろん、テレビ、新聞、本などで、ポピュリズムの歴史と危険な面を指摘するとともに、もっと政治や社会、経済について広く検討や議論がされる必要があると思います。(弁護士 松森 彬)

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2016年12月26日 (月)

日弁連の「司法シンポジウム」 ーいま、司法が果たすべき役割

東京の弁護士会館で、2016年11月5日に「いま、司法が果たすべき役割とはー法の支配の確立をめざしてー」というシンポジウムがありました。これは、日弁連が2年に一度開催している司法シンポジウムで、今年は第27回になります。ちなみに第1回は1973年(昭和48年)で、遅延していた裁判がテーマだったようです。私が弁護士になって2年目の年です。

私もかつて司法シンポジウムの実行委員をしましたが、今年は聞く側で参加しました。これまでは、裁判制度や裁判官制度、弁護士制度、司法改革などのテーマでしたが、今年は「司法の役割」というテーマで、裁判所が憲法の番人たりうるかが議論されました。これは、最近、憲法や立憲主義について国内に大きな議論があり、学者らの意見表明もあり、あるいは夫婦制度についての最高裁の判決があるなど、人権や憲法に関する関心が高まっているためです。私は、当日の議論を聞きまして、日弁連がこれから取り組むべきテーマと方向を示したものとして大変意義のある会議であったと思いました。

第1部では、裁判が権利の実現にどのように役立っているかが報告されました。最高裁判決を中心に36件の判決と、過労死の裁判やハンセン病の裁判、性的少数者の裁判などが取り上げられました。

第2部では、最高裁で違憲だという判決が出たのは2000年までは50年間にたった5件しかなかったのですが、2000年以降は15年間で5件あることについて議論がされました。

アメリカの最高裁では2009年までの63年間に連邦法について違憲判決が102件あり、州法については495件もの違憲判決が出ているようです。金沢孝准教授は、「アメリカでも50年かかって今の姿を作ってきた。それにより最高裁は『自由の守護者』としての信頼を国民から得てきた。日本でも参考になるはずだ。」、「日本では表現の自由について国民の間に認識が弱い。裁判所は憲法文化を刺激して発展させてほしい」という話しをされました。

第3部では、青井未帆教授、伊藤真弁護士、井戸謙一元裁判官、見平典准教授によるパネルディスカッションが行われました。司法の役割や、裁判所が憲法の番人の役割を果たすためにどうするか等について議論がされました。

また、司法の役割について研究者、報道関係者、訴訟当事者などの声も紹介され、そこには作家の黒木亮さんや山田洋次監督の意見もありました。これらは基調報告書に収録されています。

今回の司法シンポジウムは、立憲主義が危うくなっている今の状況を踏まえて大事な議論がされたと思いました。日弁連は、他にも人権シンポジウムや業務改革シンポジウムなどを行っていますが、シンポジウムで確認できたテーマをその後のふだんの弁護士会の委員会活動で必ずしも活かせていないという問題があります。今回の準備には中堅、若手の会員がたくさん参加されておられるようで、継続的に取り組んでいただけるのではないかと思いました。(弁護士 松森 彬)

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2016年12月 4日 (日)

「裁判を受ける権利」の今(新聞記事のご紹介)(弁護士松森 彬)

全国の地方紙で「憲法のいま 公布70年」という記事が連載されています。その一つとして憲法32条と37条が定める「裁判を受ける権利」の実情について書いた記事が11月に出ました。これは共同通信の竹田昌弘編集委員が書かれた署名記事で、全国の地方紙に掲載されました(東奥日報、北日本、信濃毎日、中部経済、岐阜、山陽、中国、琉球新報など)。民事裁判と刑事裁判の両方について審理が十分でなく当事者に不満がある状況が書かれています。私は、民事裁判について取材を受け、記事では下記のように紹介されました。

 

記事の見出しには「迅速化の陰 当事者不満」、「民事1審 84%尋問なし」、「刑事事件でも『時間がない』」と書かれていました。

 記事は「2000年代の司法制度改革で、裁判は2年以内のできるだけ短い期間内に終わらせると定めた裁判迅速化法ができた。迅速化は充実した審理が前提であったが、『裁判を急ぎ、証拠を調べてくれない』などの声も多い。憲法32条や37条(刑事裁判を受ける権利)で保障された『裁判』とは、公正、適正な裁判ではないのか」という文章で始まります。なお、憲法の32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と定めています。

 

記事は、「『証人や当事者の尋問が減るなど、民事の審理は十分でない。審理を急ぐ裁判官は主張をまとめた準備書面や書証(文書の証拠)などで判断できると思い込んでいる』と弁護士の松森彬さん。大阪弁護士会の民事裁判調査チームで座長を務めた。」、「松森さんは、『40年前と比べると、尋問は4分の1、現場を見る検証は20分の1、裁判所は文書の提出命令も出せるが、なかなか出さない。証拠を集めず、独善的に判断されるので、当事者は納得しない』と指摘する。」、「松森さんが2014年の統計で計算すると、高裁の控訴審は78%が弁論1回で結審している。」、「また、控訴審では、次のような経験もした。松森さんが代理人を務めた主婦は株を売るように言ったのに証券会社の担当者は売らず、損失が出たので提訴した。主婦は一審で『株は夫に内緒だったので言い出せず、毎晩悩んだ』と証言した。だが、大阪高裁の裁判官は『主婦は夫に相談して夫から言ってもらうべきだ』と述べた。『一審の記録を読んでいないとしか思えず、驚いた。迅速さを求めるばかりで審理はうわべだけだ』と松森さんは嘆く。」と書かれています。

 

また、記事では、学者が行った裁判を経験した人に対するアンケート調査結果も紹介されています。「民事裁判利用者調査で、『充実した審理が行われたと思う』人は37%で、「思わない」人が26%あった。司法が『権利を十分に実現している(あるいは守っている)』は27%しかいなかった」と書かれています。

 

司法は、立法、行政と並ぶ国の3つの役割の一つで、本来は大変大きな役割を果たすものです。しかし、日本の司法制度は明治時代になって西洋から輸入したもので、未だに身に付いていないようです。医療は、かつて3時間待って3分診療だと批判されましたが、患者の権利が医師にも患者にも自覚されるなかで、随分と改善しました。司法の予算を増やし、裁判官を増員し、充実した審理を行う司法にする必要があります。(弁護士 松森 彬)

(追記) このブログを書いたあと、山形新聞、大阪日日新聞、沖縄タイムスにも上記の記事が掲載されたと知人の弁護士からお聞きしました。そのお一人は、「最近は拙速裁判の傾向が強まっている。そのため敗訴者の不満が以前よりも強い傾向があることを感じている」という感想を示されました(2016年12月17日加筆)。

 

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