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2019年4月の記事

2019年4月20日 (土)

裁判所の所持品検査の問題(家裁でも始まりました)

大阪家庭裁判所は、今年4月1日から、裁判所に来る人に対する金属探知機とX線装置による所持品検査を導入し、それに伴い出入口を1か所に制限しました。大阪地裁は昨年から導入しており、それに続くものです。大阪弁護士会の司法制度に関する委員会で議論がされ、私も参加しました。どういう問題であるかをご紹介いたします。

国民は裁判を利用する権利があり、裁判所に自由に出入りする必要があることや、裁判は公開が原則であり、誰でも裁判所に入れるようにする必要があること等の理由から、従前は裁判所で所持品を検査するようなことは行われていませんでした。最初に、オウム真理教事件の審理が行われた東京地裁で所持品検査が行われ、その後2013年に札幌高地裁、東京家裁・簡裁、2015年に福岡高地裁、2018年に大阪高地裁、仙台高地裁、千葉地家裁、横浜地裁、さいたま地家裁、名古屋高地裁、神戸地裁、広島高地裁で実施され、2019年4月から大阪家裁、京都地裁、高松高地裁などでも実施されています。朝日新聞の2019年4月19日夕刊で、各地で不満が出ていることが報道されました。

裁判所における所持品検査については、札幌、仙台、大阪、京都、香川など多数の弁護士会が、反対、あるいは実施の見送りや、慎重な検討を求める意見・要望を出しています。大阪弁護士会は、大阪高地裁に対しては2017年10月25日に慎重な検討を申し入れました。また大阪家裁に対しては、2019年3月14日付書面で「大阪家裁における所持品検査の実施は、人権侵害のおそれがあること、裁判を受ける権利や裁判の公開の原則を含めた裁判所のあり方に関する重大な問題であること、入庁方法等の変更は市民及び弁護士などに大きな影響を及ぼすこと、家庭裁判所特有の配慮が要請されることなどから、慎重な対応が必要であり、立法事実の有無、他の方策の有無、予算などを明らかにした上で、弁護士会、市民などとの意見交換を行うなどして、実施の可否についてさらに慎重な検討が行われるよう要請する」との意見を申し入れました。しかし、裁判所は4月1日から実施に踏み切りました。

国民の所持品は、憲法35条により、住居等と同様に令状なしには捜索や検査を受けることがないことが保障されています。憲法のこの規定を知っておられる人は多くないかもしれませんが、法の番人である裁判所は率先して遵守しなければなりません。最高裁昭和43年8月2日判決も「所持品検査は、被検査者の基本的人権に関する問題であって、その性質上、常に人権侵害のおそれを伴うものである」と述べています。裁判所は、仙台地裁で2017年に刑事被告人が傍聴席にいた警察官に刃物でケガをさせた事件があったことなどを実施の理由にしていますが、それ以外にどれだけどのような事件があったかを裁判所は明らかしていません。もちろん暴行等の事件はあってはならないことですが、裁判所の外では防げないわけで、ここまでのことを行うべきかは、もっと検討されるべきであると思われます。

各地の裁判所は、市役所や税務署や労基署などと同様に、市民が利用しやすく、開かれたところであることが望まれます。昨年、大分地裁に行ったときは、人員削減のせいか、玄関に守衛さんもおられないのですが、玄関と廊下で通りがかりの職員2人が「行き先はわかりますか。ご案内しましょうか」と声をかけてくれました。また、岡山地裁では、玄関を通った職員がにこやかに会釈をしてくれました。それと比べて、今の大阪の裁判所は、いかつい男性警備員が仁王立ちをして裁判の当事者らを待ち構えており、その光景は異様です。先日は、当事者の男性の靴の底の見えないところに金属が使われているらしく、靴まで脱がされて困っておられました。地域の住民のための裁判所は、人々があまり出入りしない中央省庁とは異なることを、最高裁は自覚する必要があると思います。

最高裁長官は2017年1月の裁判所時報の「新年のことば」で、ハンセン病を理由とする開廷場所の運用が違法であったことを認め、裁判所では人権に対する鋭敏な感覚を持って仕事をすることが求められると述べています。しかし、所持品検査問題については、到底鋭敏な人権感覚があるとは思えません。既に大阪地裁では、車いす利用者が、ゲートの幅が足りずに通り抜けられず、民間警備員から、身体に触れられたり、荷物を取り出されたりする事例がありました。車いす利用者らが大阪地裁に抗議と改善を申し入れ、大阪高地裁は、2019年1月、配慮を欠いた対応があったことを認めました。

所持品検査は、民間の警備会社に委託しており、大阪高地裁だけでも、年間1億2199万円という巨額な費用になっています。それだけの国費を支出して行うべき必要があることかについて、必要性、方法などを総合的に検討することが求められます。(弁護士 松森 彬)

2019年4月13日 (土)

遺言はどのくらい書かれているか

1 これまで日本では、内縁の夫婦などを別にして、遺言を書くことは多くなかったように思います。ただ、最近は、公正証書遺言の作成件数が10年前の1.5倍になったという報道もあり、増えていると言います。一体どの位の人が遺言を書いているかを調べてみました。

2 遺言は、公正証書遺言と自筆証書遺言があります。公正証書遺言の方が多く、2017年に作成された件数は11万0191件でした。2007年が7万4160件でしたので、公正証書遺言を作る人が10年で5割増えています。

また、自筆証書遺言は、毎年の作成件数はわかりませんが、死後に家裁へ提出して検認する必要がありますので、検認の件数を調べると、2017年は1万7394件でした。2007年は1万3309件で、1997年は8895件でした。死亡者数に占める割合は、1997年は死亡者91万人の1.0%でしたが、2017年は死亡者134万人の1.3%ですから、率が増えてはいます。ただ、それでも全体の1.3%です。

3 公正証書遺言は、自筆証書遺言の5~6倍程度多く作られているようですので、死亡者の7%程度でしょうか。自筆証書遺言の1.3%と公正証書遺言の約7%を足した約8%程度が、わが国で最近作成されている遺言の割合ということになると思います。

4 この約8%程度という割合は、次の検討からも言えると思います。すなわち、公正証書遺言が年間約11万件作成され、また、自筆証書遺言が年間約1万7000件程度作成されたとして(この数字は検認の件数ですが、今の作成はもっと多いと思われますので)、合わせておおよそ年間約13万件の遺言が作成されているようです。亡くなった人は、2017年の場合、年間134万人です。2017年に遺言を書いた約13万人が亡くなるのは将来で、将来はもっと死亡者数が増えると思われますので、遺言を書く人は全体の1割弱程度ということが言えそうです。また、2017年の65歳以上の高齢者人口は3515万人(人口全体の28%)です。遺言を書くことが多いと思われる60歳から80歳位までの人が毎年約13万人ずつ遺言を書くと、20年間の遺言の総数は260万件になります。これは3515万人の高齢者人口の約7%にあたります。

5 このようにみますと、最近は1割弱の人が遺言を書くようになっていると言えそうです。私は、遺言を書く人はもっと少ないと思っていました。遺言を書く人は結構増えているなと思います。

6 相続や遺言をどう考えるかは、人によっていろいろな考えがあると思いますが、私は、法律も、どういう理念でできているのかが、あいまいであると思います。たとえば遺言を望ましいと考えているのか、あるいは法定相続を原則の形と考えているのか、はっきりしません。それは、相続と遺言についての法律制度が、歴史的にさまざまあるからのようです。遺言は、古代のローマ法の時代からあったといいます。イギリスやアメリカでは遺言を書く人が多いといいますが、ドイツはそれほど使われていないとも聞きます。日本でも江戸時代に遺言に似た制度があったといいますが、明治時代以降は、遺言はあまり使われていません。財産は生前に使い切ろうと、ドブに捨てようと、全部寄付しようと、個人の自由であると言いますが、個人の財産処分の自由をどこまで認めるか、また、家族の財産保護を考えて遺留分制度を設けるかなど、国により、また時代により色々な考え方があるようです。個人の財産処分の自由の考え方に立てば、遺言による死後の財産の処分を自由に認めてよいという考え方になりますが、他方、家族にも財産について権利がある場合もあるでしょうし、また、子に渡すときは平等に扱うのが人間の平等という理念からは望ましいともいえます。今の法律は、遺留分という一定の制限は設けながら、遺言で自由に処分ができることを認めているのですが、他方で、法律は、遺言がなければ平等な相続分にするとしています。いくつもの価値観が折衷されてできている制度であるように思います。相続をめぐる紛争が少なくないのは、国として相続制度の適切なあり方や使い方について検討や情報提供が十分にできていないことも影響していると思います。(弁護士 松森 彬)

 

遺言があるために、もめることがあります

1 最近、遺言について書いた記事が週刊誌などにたくさん出ています。高齢化社会になり、関心を持つ人が増えているためと思われます。記事の多くは、遺言を勧めており、なかには「遺言は書くのが常識」とあおっているものもあります。しかし、私は、遺言は内縁の夫婦や子のないときなど書いておく必要がある場合もありますが、必ず書くべきであるとまでは思いません。それは、遺言をめぐる争いをたくさん見てきたからです。遺言を書くように言うのは、公正証書遺言を書くのを職業にしている公証人や、弁護士以外の士業の人が多いように思います。弁護士は、書く場合も、もめないように工夫すること、たとえば生前から話しておくように助言する人が多いように思います。

2 週刊朝日が「死後の手続き」というシリーズで遺言を取り上げていて、取材があり、遺言をめぐる紛争を説明しました。また、大阪弁護士会の「遺言・相続センター」が出している「遺言相続の落とし穴」という本を紹介しまして、遺言の危険性も書いてほしいと言いました。週刊朝日の2019年3月15日号に私の説明が掲載されましたので、ご紹介します。

■遺言に対する全般的な考え

 「子どもがいなくて配偶者にすべて相続させたい場合や、事業資産を特定の後継ぎに承継させたい場合など、遺言が効果的なケースはあります。一方で、相続人が配偶者と子だけで、子に平等に相続させたければ遺言は不要といえます。どの財産をだれに、と指定したい点もあるかもしれませんが、事情が変わる場合もあり、かえってもめる恐れがあります。遺言があれば紛争にならない、と考えるのは早計です。遺言は、それが原因でもめることも覚悟のうえで、自分の遺志として残したい内容があるかをよく考えて作るべきだと思います」

■遺言があるともめる理由

「①書いてから死亡まで、数年あるいは10年以上も経過します。その間に介護など様々な事情が変わり、内容の妥当性が失われることがあり、相続人が不満を持ちます。②遺留分制度がありますので、遺言のとおりにはできるとは限りません。また、遺留分が確保されても、多い人と少ない人ではかなり差がつきますので、不満が出ることがあります。③遺言を書く人と相続人の間で、差を設ける理由や土地の評価などについて認識にズレのあることがあります。④複数いる子の一人が親に遺言の作成を頼む場合があり、親の本意かどうかが微妙で、そのような場合も紛争になることが多いと思います。」

■遺言より生前のコミュニケーションを

 「遺言を書く場合は、相続人の間で差をつける分け方を指定することが多いと思います。ただ、その分け方の理由を書いても、納得しない相続人が出てきます。生前から口頭で考えを伝え、了解を得るのがよいでしょう。遺言に頼るのではなく、生前のコミュニケーションに力を入れることが大事だと思います。また、遺言は、状況の変化に応じて書き換えることも必要ですが、公正証書遺言は費用や手間がかかることもあって、何度も作成するのは面倒です。それが相続の争いを生む一因にもなっています」

3 エンディングノートの勧め

私は、遺言は必要があるときに書くのがよいと思いますが、エンディングノートは、できるだけ書いておくのがよいと思います。エンディングノートは、いざというときのために、終末期医療についての希望、葬儀の仕方、親族、友人、銀行口座その他財産の明細などを記載するものです。遺言は残さず、エンディングノートに財産の明細を記載して相続人で仲良く協議して分割することを求めるのも、紛争を生まない一つの方法だと思います。なお、エンディングノートに財産の分け方について書くと、自筆証書遺言に当たらないかという問題が生じます。遺言として書くときは正式に遺言として書くことにして、エンディングノートには具体的な財産の分け方について書くのは避けるべきです。(弁護士 松森 彬)

 

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