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2018年1月の記事

2018年1月18日 (木)

裁判所の所持品検査の問題

大阪地裁は、今年1月9日から所持品検査を始めました。裁判所の玄関に、空港にあるような金属探知機が置かれ、そこを通って入ることになります。朝日新聞の正月明けの大阪版に記事が出ていましたが、ご存知でない方も多いと思います。大阪弁護士会は、問題や弊害を指摘して慎重な検討を求めていましたが、実施されました。私は、昨日、その光景を見まして、これまでの静かで穏やかであった裁判所玄関とは異なる物々しい雰囲気に驚きました。

裁判所での所持品検査は、最初は、東京地裁でオーム真理教の裁判のときに始まったと思います。ただ、オーム真理教の裁判が終わったあとも続いています。最高裁は、その後、札幌や福岡でも始め、今年からは大阪、仙台などで始めたようです。民間の警備業者に相当な額を払って委託しています。検事、弁護士は検査の対象外にしています。東京地裁に依頼者の方と行ったときに、弁護士が入るゲート(バッジか身分証明書を見せるだけで検査がない)と一般の方のゲート(検査がある)があり、分かれて入るのですが、弁護士は検査がなく、依頼者の方は検査を受けておられ、申し訳なく思いました。

裁判所の弁護士会に対する通知によりますと、所持品検査を始める理由は、裁判所に来る人の安全を図るためということです。数は少ないのですが、昨年、仙台地裁で保釈中の刑事被告人が傍聴者を刃物で傷つける事件があったことや、大阪地裁でも刃物を持っていた人がいたことがあるようです。

ただ、長く大阪で弁護士をしている者からしますと、本当に必要かという思いがします。少なくともこの数十年間に所持品検査をしなければならないと思うようなことはありませんでした。そこで、大阪弁護士会の司法制度を検討している委員会では、所持品検査まで必要かについては懐疑的な意見が大勢でした。

裁判所の所持品検査については次のような問題があると思います。

第1は、「所持品」のプライバシーは、憲法35条が、住居などと並んで、裁判所の令状なしに勝手に検査を受けることが無い私的領域であるとして保護していることです。昨年、京都国立博物館では博物館に来られた国民のカバンを明けさせるという乱暴な所持品検査をしていました。所持品検査は、権利を侵害するものだという認識の無いままに無造作に行われているように思います。

第2に、国民が利用する「裁判所」であるが故の問題です。国民は、裁判所で「裁判を受ける権利」を憲法で持っています。そして、「裁判の公開」が必要です。弁護士会は、わが国の司法や裁判所は、必ずしも国民にとって利用しやすい、親しみやすいところにはなっていないとして、高校生や市民を対象とした裁判傍聴の運動も進めてきましたが、所持品検査は、逆の方向のものではないかと思います。アメリカの裁判所に行ったときは、銃を所持していないことを調べる検査がありましたが、わが国は少なくとも銃の危険はありません。裁判所は、施設内で事件があれば責任を問われるという心配から警備を強化しようとしているのではないかと思います。しかし、裁判所は、国民のために裁判を行うサービス機関であることを一番に考えるべきです。いかめしく、ものものしい裁判所では、ますます国民から遠い存在になるのではないでしょうか。

警備は単に抽象的に議論すると強化に向かうおそれがあります。具体的に危惧していることは何か。それの対策としてどこまでのことが必要か。また有効か。裁判の当事者や傍聴する市民や法律家の権利を侵害しないか。他に代わりの良い方法はないか。今回の所持品検査の導入は、これらの検討が外部の意見も聞いて十分になされたと思えません。状況を見て、見直しや廃止が検討されるべきだと思います。(弁護士 松森 彬)

2018年1月 1日 (月)

2018年正月の新聞を読んで

新年おめでとうございます。

いくつかの新聞の社説を読んでみました。論説委員の皆さんは今年の課題をどう見ておられるか。

今年の社説は、「民主主義」を取り上げる記事が多数見られました。それだけ、危機感があるからでしょうか。そして、財政や社会保障、環境問題など中長期的政策の議論ができていないという指摘も多数ありました。

朝日新聞は、安倍政権が5年になるが、政権維持が自己目的化し、財政再建や地球温暖化対策などの政策課題が積み残しになっていると書いています。場当たり的な政権運営ではなく、「民主主義の時間軸を長くする方策がいる」と提案しています。具体的には、財政再建をチェックする第三者機関の設立や、国会に若い人の声を送りこむ制度や、解散権の制限などを提案しています。

また、毎日新聞も「民主主義の統合機能」の必要性を提言しています。アメリカで国論が大きく二分し、またイギリスやスペイン、ベルギーでは独立問題を抱え、日本でも基地負担に苦しむ沖縄の問題があります。記事は、異論を認め合い、結論を出すという民主主義の統合機能を再認識すべきではないかと書いています。

東京新聞も、「明治150年と民主主義」という社説です。明治の初めも民衆は公平を求め、人民主権を求めた。戦後の憲法は、1948年の世界人権宣言が基底にあり、押しつけという政治家もあるが、国民多数は歓迎した。今の日本の民主主義はどうか。「一強」政治があり、首相は謙虚を言いながら独走を続けている。ヨーロッパには全市民が集まった広場があったが、今の日本では議会がその役割を果たすべきでないか、と書いています。

読売新聞の社説は、前半は北朝鮮問題を取り上げ、後半で、中長期的な課題に取り組む必要性を指摘しています。国民の間には、少子高齢化に伴う将来への不安感が蔓延しており、医療、介護、年金制度と税という国民負担を議論する必要があると書いています。その点は、日本経済新聞も同様で、超高齢化社会を乗り切るために、社会保障と財政の見取り図をきちんと描くことが最重要であると書いています。

事前に意見交換されたわけではないでしょうから、たまたま同じような問題意識になったのだと思います。民主主義を改めて議論しなければならないとは、という思いもします。しかし、ほとんどの国民はきちんとしていて、今、政治家や官僚がしていることより、はるかに誠実だと思います。それからすれば、民主主義の実践はそれほど難しいことではないはずです。これからの人と政治に期待したいと思います。(弁護士 松森 彬)

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