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2017年5月の記事

2017年5月20日 (土)

令状なしのGPS捜査は違法(最高裁大法廷判決)

今年3月15日に最高裁は大法廷判決で、「警察が行っている令状なしのGPS捜査は違法である」という判断を示しました。最高裁が司法の役割を果たしたと思われた方は多かったと思います。

GPS捜査というのは、警察が市民の自動車に無断でGPS(人工衛星を利用して位置がわかる装置)の発信器を取り付けて居場所を捜査するもので、警察は2006年にやり方を決めて行ってきたと言います。知らないうちに車に装置が付けられて、どこに行ったか、どこにいるか等が何ヶ月も警察に知られていたのです。

日弁連は、裁判所の令状なしに行うのは違法であるという意見を表明してきましたが、裁判所の判断は違法と適法に分かれていました。ある窃盗事件の弁護人となった大阪の若手弁護士らが、それまで実態がよくわからなかったGPS捜査の問題を真正面から取り上げました。大阪地裁は違法だという判決を出しましたが、大阪高裁は重大な違法があるとはいえないという判決を出しましたので、最高裁に上告していました。

最高裁は、15人の裁判官全員一致で、「裁判所の令状なしに無断でGPSを取り付けて人の所在を調べるのは違法である」という判断を示しました。警察は、この判決のあと全国で行っていたGPS捜査をやめたようです。今後は、GPS捜査をどのような場合に裁判所の令状でもって認めるかという立法の議論になっていくと思われます。

最高裁が、このような明解な判断をしたのは、国民の基本的人権を認めた憲法があるからです。憲法35条は、人々には住居や書類や所持品を勝手に捜査されることは無い権利があると定めています。そして、最高裁は、人がどこにいるかということも、これらに準ずる「私的領域」であり、国民には私的領域に勝手に侵入されることがない権利があると判断しました。弁護団によりますと、アメリカでも違憲であるという判決が出ているようです。

大阪の捜査では、被疑者だけでなく、交際相手の車にも無断で発信器が取り付けられたと言います。それが7か月も続けられたようです。このような捜査を警察がしていることを多くの国民は知らなかったと思いますが、この度、最高裁が裁判官全員一致の意見で、令状もなしにこのようなことは許されないとしたのは、司法の面目躍如たるものがあります。

弁護団の中心になった亀石弁護士は、この事件を頼まれたとき、弁護士になってまだ4年目だったそうです。同期の弁護士らに声をかけて6人の弁護団を結成し、最高裁には「子孫が後に振り返ったときに感謝してくれる判決を」と訴えたようです。最高裁判事には検察官出身者や行政出身者もいますが、ことの重大性と司法の取るべき態度という点で一致したのだと思います。

亀石弁護士は、今、国会で議論されている共謀罪法案について、警察は恣意的に捜査することが日常茶飯事であり、法案は問題があると指摘しています。捜査の必要で人権が侵害されることがないように、慎重な議論を求めたいと思います。(弁護士 松森 彬)

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2017年5月 1日 (月)

壬生狂言を見てきました(余談)

週末に京都の壬生寺に行き、「壬生狂言」の春の公演を見てきました。法律の話題ではありませんが、ご容赦ください。

壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺の僧侶が仏教をわかりやすく伝えようとして始めたものだそうです。今の舞台は江戸時代に建った建物であり、演者が付ける面は約190もあり、その中には室町時代に作られたものも残っているといいますので、年季が入っています。面を付けて身振りや手ぶりだけで演じます。私は大学時代、能のクラブに入っていましたので狂言はたくさん見ましたが、セリフがある狂言と異なり、壬生狂言は面を付けて演じる無言劇です。ただ、笛と太鼓、鐘がありますので、音楽性は十分です。

公演は1週間あり、毎日5つの演目が演じられます。毎日最初に演じられるのが、ほうらく売りというお話です。これは、ほうらくという素焼きの皿を売る商人が、太鼓を売る商人を騙し、怒った太鼓売りの商人に売りものの皿をすべて割られてしまうという話しです。ほうらくは、2月の節分に参詣した人が奉納したものだそうですが、これを約1000枚も高い舞台から落として割りますので、迫力があり、約400人の観客から大きな拍手が起こっていました。また、今日の2番目の演目は「蟹どん」という猿蟹合戦と桃太郎を合わせたような話しでした。天井につるした綱を渡ったり、面を付けたまま舞台から飛び降りたり、観客を驚かせる場面も随所にありました。

西暦1300年ころに始まり、約700年も連綿と続けてきたといいます。戦争中も1日だけになっても続けられたそうです。それは、この狂言が壬生寺の本尊に奉納するためのものであったからだと思います。狂言の解説書が200円で売っていたので、買いました。それを読みますと、この狂言を演じている人は、地元の会社員や商店主や子どもなどで、約40人ほどが講を作って続けているそうです。名前も出ませんし、面を付けていますから誰かさえ分かりませんが、そんなことは無頓着に、口伝で芸を伝え、磨き、続けておられます。

京都の祇園祭りも、大文字の送り火も、地元の人が世話をして行われています。人々の地域に対する思いや心意気なのでしょうね。心強いものを感じます(弁護士 松森 彬)

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