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2016年5月の記事

2016年5月 2日 (月)

裁判の「和解」は仲直りである必要はありません

「和解」という言葉をお聞きになったことがありますか。裁判で、当事者が合意して裁判を終わらせることを和解と言います。よく似た言葉に「示談」という言葉があります。示談は裁判外で話しをまとめるときに使い、裁判を合意によって終わらせるときは和解といいます。

先日、ある当事者の方が、和解という言葉に難色を示されました。「合意の内容は、それでよいが、和解調書とか和解条項とか、和解という言葉が嫌だ」と言われるのです。民事訴訟法には「和解」という言葉が明記されていますので、法律家としては納得してもらうしかなく、我慢していただいて、結局、和解がまとまりました。

この当事者が和解の言葉に難色を示されたのは、相手方との間で当事者にはまだ納得のいかない別の問題が残っていまして、そういう意味で和解はしたくない、できないと言われるのです。たしかに、広辞苑では、「和解」は「①相互の意思がやわらいでとけあうこと。なかなおり。②争いをしている当事者が互いに譲歩しあって、その間の争いを止めることを約する契約。」と書かれています。②の意味は法律用語ですが、①の仲直りという語感が納得いかなかったのだと思います。

民事裁判が終了するのは、次の3つです。①判決、②合意(和解)、③原告による取下あるいは被告の承諾(認諾といいます)の3種類しかありません。そこで、私は、②の和解という言葉は、「裁判の合意による終了」というような言葉に変えるのがよいと思います。もちろん仲直りまでできた方がよいと思いますが、要件ではありませんので、誤解を招く用語は避けた方がよいように思います。言葉をめぐる議論は聞いたことがありませんが、次の訴訟法改正の際に検討してもらってよいことではないかと思います。ちなみに、ドイツでは和解を「金銭支払による裁判終了」と言うと聞きました。

日本で明治時代に民法や訴訟法を作るとき、当時のフランス民法は、和解を「当事者が既に生じた争いを落着させ、又は生ずるかもしれない争いを予防する契約」としていたようです。その後、当事者双方の譲歩という要件が入ったそうですが、互譲を必須要件とするか、どう扱うかは、裁判の現場では大きな問題ではないというのが多数説だと思います。

実際の裁判で和解するときは、主観的、感情的な仲直りという側面より、裁判を終わらせるところに主眼があります。仲直りは要件ではありませんので、語感の点でまぎらわしい和解という言葉は適切ではないように思います。

この問題に限らず、裁判用語にはときどき国民の皆さんから批判が出ます。民事裁判で訴えられた側を「被告」と言いますが、刑事裁判での「被告人」と似ていますので、「何も悪いことをしていないのに相手から被告人呼ばわりされた」と怒る被告がおられたと聞きます。司法改革のときに議論した記憶がありますが、それきりです。

日本では、法律学者はほとんどが裁判実務をされず、裁判官などから間接的に実情をお聞きになるだけで、裁判当事者の生の声はなかなか聞いて頂いていないと思います。弁護士は訴訟代理人として国民の生の声を日々聞いています。そして最近は弁護士が立法作業に参加することも増えていますが、毎日の仕事に追われて学者と同じように時間を割くのはなかなか難しいようです。

今回、「和解」の言葉をめぐって当事者の方と話しをしていまして、裁判制度には、まだまだ国民の声が十分に汲み上げられていない点があるなと思いました。(弁護士 松森 彬)

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