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2014年9月の記事

2014年9月 5日 (金)

裁判官は真相究明の努力を怠っていないか

元裁判官で、現在弁護士になっておられる皆さんが、弁護士の書面や尋問などについて話しをされている記事を読みました。弁護士と裁判官は、国家試験が同じで、その後の司法研修も同じですので、若いときからの知り合いも多く、お互いが考えていることは、ある程度わかっているつもりですが、立場が違うと、こんなにも違うのかと思う話しもありました。

弁護士が書く書面についてもっとわかりやすくとか、不利な部分についてもフォローが大事だとか、証拠をもっと探せばよいのにと思うことがあるとか、弁護士として参考にすべきだと思うことがありました。 また、裁判官をやめて弁護士になってみて、弁護士が書面を出すまでに大変な苦労をしていることがわかったという発言もありました。

立場の違いを感じたのは、事実認定の仕方です。元裁判官らは、「離婚事件のように書証(証拠になる文書)が無い紛争は別にして、一般の民事事件では、争いのない事実と書証だけで、どちらの言い分を認めるかの判断ができる」と言われます。したがって、本人と証人が証言する人証調べは重視されません。人証調べの前にほとんど心証は決まっていると言い切られます。これは、従前から、弁護士会と裁判官との協議会などで言われてきたことですが、改めて弁護士の感覚との違いを感じました。

ある元裁判官は、「争いのない事実と書証によってストーリーが決まる」、「書証と『人は合理的に行動する』という経験則とによって概ね事実の認定はできる」と言われます。 しかし、多くの裁判ではそうかもしれませんが、弁護士が苦労するような裁判では、そう簡単ではないことが少なくありません。たとえば、証券取引の裁判では、金融機関の業務日誌が提出されますが、従業員は後で落ち度があったとされると自分の責任を追及されますので、多くは後日顧客と紛争になることも想定して作られています。事実のとおり書かれているかは厳密なチェックが必要です。証拠に出た書類だけで事実の認定ができるという考え方は、やはり問題だと思います。

また、元裁判官は、「相手が嘘をついているという事実を積み上げても意味は無い」と言われます。理由として、相手が嘘をついていたからといって、こちらが本当のことを言っているということにはならないからだと言われます。しかし、民事の紛争の多くは、どちらかが嘘をついているために生じます。重要な事実についていくつも嘘をついている当事者については、信用性が無いと判断してよいのではないでしょうか。

かつて、長老の弁護士から「負ける事件は訳がわからない話しにするのがよい」と聞きました。訳がわからないと裁判官が思えば、裁判官も真相究明を諦めるということでしょうか。 「裁判官は予断と偏見で裁判をしてはならない」というのが訴訟の原則だったはずです。何が真実かの究明を途中で諦めて、書証だけでストーリーを作り上げて、それで事実の認定ができたというのは、裁判の放棄だと言われても仕方がないように思います。双方が異なる主張をしているとき、どちらがウソを言っているか、それは陳述書を読んでもわかりません。法廷での証言の態度を含め、どちらが真実を証言しているかを見極めようとするのが人証調べの目的であったはずです。 ところが、最近、地裁での証人調べがますます減っています。私が知っているだけでも、地裁で重要な証人を調べず、高裁に行って、調べる必要があると判断されて、調べが行われ、結論が変わったケースが幾つもあります。

当事者の納得も裁判の重要な要素です。かつては、結論は変わらないかもしれないがと言いながらも、高裁で、もう一度本人の証言を聞くということも行われました。今の高裁は、効率一本で、そのような場面はまずありません。

現在、わが国の裁判官は若いときからのキャリア制ですが、裁判官を辞めて弁護士になって色々なことが分かったというのでは遅すぎます。作家の黒木亮さんは、裁判に証人で出たご経験もあるようですが、裁判官は40歳以上にすべきだと言っておられます。社会人経験や弁護士経験を踏まえてから裁判官になるアメリカやイギリスの法曹一元制度の導入が真剣に検討されるべきではないかと思います。(弁護士 松森 彬)

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